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あの日の記憶 保坂廣志

あの日の記憶  石川・宮森ジェット機墜落事件

 保坂廣志 著

  印刷版(POD) (B5版 163頁) 1,800円+税  アマゾン  直 販

  ISBN:9784907625535
  2020年2月25日刊

  プレビュー

あの日の記憶

 1959年6月30日、米軍ジェット戦闘機が(旧)石川市街地と宮森小学校に墜落・炎上した。事故による死者は児童12人(内1人は後遺症による)を含む18人、負傷者は210人に及ぶ大惨事となった。

 事故当時、児童はミルク給食を楽しんでいた。轟音とともに低学年教室を火炎が襲い、次いで6年生教室に機体が激突した。教師も児童も、わけがわからず「戦争だ」「戦争だ」と叫び、怒声が響いた。ひたすら子供たちは、「戦場地」よろしく逃げに逃げ、周辺の田畑、海岸へと駆け込み、父母の職場へと助けを求めた。学園は修羅場と化し、教室は業火に煽られ、衝撃でガラスが砕け散り、戸板に激突した者もいた。一瞬にして児童1,316人、幼稚園児200人の合計1,516人中、約1割の156人が重軽傷を負う、最悪の学園事件となった。

 1960年前後の沖縄は、「相対的安定期」と言われ、「石川・宮森ジェット機墜落事件」に触れる研究者はほとんどいない。あってもせいぜい一行程度の記述で、「ジェット機事件一行史」と皮肉混じりに呼ぶものもいる。

 本事件は、米軍統治下の大事故ではあるが、事件の凄惨さが言葉を閉じさせ、さらに被災者多数が肥厚性痕跡(ケロイド)を持つ児童たちであったため、事件からわずか数年後に人々の記憶から消えてしまった。しかし、記憶の継承は、学校や地域社会で形を変えて脈々と受け継がれ、2012年2月の「NPO法人石川・宮森630会」の設立とともに事件は再評価されることになった。

 事件当時沖縄は、米軍の実質的な軍事支配下にあり、遺族や被災者とその家族を中心に損害賠償運動が展開されたが、日本政府は勿論のこと、琉球政府や(旧)石川市の支援もほとんど得られなかった。反面、米軍は、反米・反基地感情を最小限に抑えるため、様々な策をとり、最後には遺族や被災者賠償金に関わる委員会をワシントンに直接立ち上げ、特異な支払い方法・解決策を案出している。これとともに、米国民政府は琉球政府と連携し住民説得を計り、軍事支配を有利になるよう各種の施策をとったことが判明する。やがて事件は、「記憶の穴」に落とし込められ、「石川・宮森ジェット機墜落事件」は歴史家や政治学を始め人々の記憶から抜け落ちていくこととなった。

 こうした中、「石川・宮森630会」は、米国公文書館が所有していた事件当時の米軍機密文書を入手し、事件から60年を目処に翻訳書を発刊することに決めた。私も翻訳監修に当たり、翻訳書は2019年6月20日、『資料集石川・宮森の惨劇-米国公文書館文書に見るジェット機墜落事件』という書名で公刊された。同書は、基本的には公文書を編纂したものであり、一般読者が手にして理解するにはどうしても通史や解説書の類が必要になろう。そこで私は、事件発生からその終息に至る過程を、内外の新聞紙、米国公文書、一般書籍、さらに体験者の証言録等を参考に、あらたに『あの日の記憶 石川・宮森ジェット機墜落事件』を書き下そうと試みた。

 本書を契機に、「石川・宮森ジェット機墜落事件」が人々に膾炙され、犠牲となった多くの方々や被災者への鎮魂・慰藉となれば幸いである。

はしがき

 1960 年前後の沖縄は、「相対的安定期」と言われ、 1959 年 6 月 30 日に発生した「石川・宮森ジェット機墜落事件」に触れる研究者はほとんどいない。あってもせいぜい一行程度の記述で、「ジェット機事件一行史」と皮肉混じりに呼ぶものもいる。本事件は、米軍統治下の大事故ではあるが、事件の凄惨さが言葉を閉じさせ、さらに被災者多数が肥厚性痕跡(ケロイド)を持つ児童たちであったため、事件からわずか数年後に人々の記憶から消えてしまった。ただし、記憶の継承は、学校や地域社会で形を変えて脈々と受け継がれ、 2012 年 2 月の「NPO 法人 石川・宮森 630 会」の設立とともに事件は再評価されることになった。

 事件当時沖縄は、米軍の実質的な軍事支配下にあり、遺族や被災者とその家族を中心に損害賠償運動が展開されたが、日本政府は勿論のこと、琉球政府や(旧)石川市の支援もほとんど得られなかった。反面、米軍は、反米・反基地感情を最小限に抑えるため、様々な策をとり、最後には遺族や被災者賠償金に関わる委員会をワシントンに直接立ち上げ、特異な支払い方法・解決策を案出している。これとともに、米国民政府は琉球政府と連携し住民説得を計り、軍事支配を有利になるよう各種の施策をとったことが判明する。やがて事件は、「記憶の穴」に落とし込められ、「石川・宮森ジェット機墜落事件」は歴史家や政治学を始め人々の記憶から抜け落ちていくこととなった。

 こうした中、「石川・宮森 630 会」は、米国公文書館が所有していた事件当時の米軍機密文書を入手し、事件から 60 年を目処に翻訳書を発刊することに決めた。私も翻訳監修に当たり、翻訳書は2019年6月20日、『資料集 石川・宮森の惨劇―米国公文書館文書に見るジェット機墜落事件』という書名で公刊された。同書は、基本的には公文書を編纂したものであり、一般読者が手にして理解するにはどうしても通史や解説書の類が必要になろう。そこで私は、事件発生からその終息に至る過程を、内外の新聞紙、米国公文書、一般書籍、さらに体験者の証言録等を参考に、あらたに『あの日の記憶 石川・宮森ジェット機墜落事件』を書き下そうと試みた。

 本書を契機に、「石川・宮森ジェット機墜落事件」が人々に膾炙され、犠牲となった多くの方々や被災者への鎮魂・慰藉となれば幸いである。

目次

口 絵
序 久高政治
はしがき
出典の表記
第一部 石川・宮森ジェット機墜落事件
 はじめに
 第1章 石川・宮森ジェット機墜落事件
  第1節 事件の経緯
   1.1 事件の概要
   1.2 事故機
   1.3 台湾台南市における定期点検・整備
   1.4 テスト飛行と緊急交信
    1.4.1 テスト飛行と機長の飛行判断
    1.4.2 緊急交信
   1.5 機長の脱出・救助
   1.6 機長の証言
   1.7 事故原因
 第2章 惨劇の果て
  第1節 事故の現場
   1.1 事故状況
   1.1.1 石川市街地
   1.1.2 小学校現場
  1.2 緊急避難と児童の退避・避難行動
   1.2.1 戦争勃発を理由とするもの
   1.2.2 親に会うための避難行動
 第2節 米軍、琉球政府等の初期対応
   2.1 米軍の初期対応
   2.2 避難所(テント小屋)と炊き出し
   2.3 合同慰霊祭と見舞金問題
   2.4 米軍による現場封鎖
 第3節 琉球政府、議会等の初期対応
   3.1 琉球政府の初期活動
    3.1.1 琉球政府の活動
    3.1.2 琉球警察
    3.1.3 琉球政府社会局
    3.1.4 石川市長の失言
    3.1.5 仲嶺校長の哀悼の詩
 第4節 日本政府の動き
 まとめ

第二部 ジェット機墜落事件と米軍機密文書
 第1章 医療問題と政治的解決
 はじめに 047
 第1節 医療問題の経緯
  1.1 医療問題の出発
  1.2 被災者治療を巡る空軍から陸軍への照会
  1.3 重症患者の軍病院での治療を巡る経過
  1.4 ヒガシオンナ・リポート
  1.5 最終医療報告書
  1.6 重度被災者と自費治療
 まとめ
 第2章 賠償金の決め方と琉球政府の勇み足
 はじめに
 第1節 死亡者賠償金の経緯
  1.1 死亡者賠償金
   1.1.1 琉球政府=ホフマン方式の提案
   1.1.2 行政協定方式=空軍賠償委員会の裁定
   1.1.3 遺族会の請求
   1.1.4 琉球政府の勇み足
   1.1.5 アイク訪沖とジェット機犠牲者賠償
  1.2 被災者に関わる賠償金問題と解決
   1.2.1 賠償金を巡る米側の姿勢
   1.2.2 重傷者を巡る琉米交渉
   1.2.3 被災者を巡る最終解決
 まとめ

第三部 米軍機墜落と心身の傷
 はじめに
 第1章 子供たちの叫び
  第1節 子供の状態―重傷者、負傷者、子供一般
   1.1 米軍記録に記された「子供の叫び」
   1.2 米国民政府の負傷者宅訪問(第一回)
   1.3 米国民政府の負傷者宅訪問(第二回)
   1.4 琉球政府立法院の負傷者宅調査
   1.5 「医療報告書」から見た被災者の状況
  第2節 精神的賠償を巡る米国の方針
  第3節 石川・宮森事件と精神的症状
 第2章 石川・宮森事件と心の傷
  第1節 心の傷と損害賠償
   1.1 C 子ちゃんの精神状態と新聞発表
   1.2 C 子ちゃんの賠償請求問題
   1.3 被災者からの再審要求と請求却下
  第2節 ジェット機事件とトラウマ
   2.1 児童の叫びと恐怖心
   2.2 現場体験教師のトラウマ
   2.3 被災園児・児童の語録
 まとめ

第四部 集合的記憶
 はじめに
 第1章 ジェット機墜落事件とメディア
  第1節 英字メディアのジェット機墜落事件報道
  第2節 沖縄、日本国内の英字紙の事件報道
  第3節 本土紙のジェット機墜落報道
  第4節 沖縄地元紙の論評
   4.1 ジェット機墜落事件報道不在の20年
   4.2 ジェット機墜落事件を巡る地元紙の論調
 第2章 地域の記憶
  第1節 仲よし地蔵と棟方志功の母子観音画
   1.1 棟方志功の沖縄イメ-ジ
   1.2 仲よし地蔵と子供たち
   1.3 聖別としての空間
  第2節 悲しみに言葉を
 まとめ

あとがき
参考文献・論文

著者紹介

  保坂廣志 (ほさか ひろし)
   1949 年 北海道生まれ
   1974 年 東洋大学社会学部応用社会学科卒業
   1976 年 東洋大学大学院社会学修士課程修了
   琉球大学法文学部講師、助教授、教授を歴任
   現在、沖縄戦関係を中心とした翻訳業に従事
     著書 戦争動員とジャ-ナリズム(1991, ひるぎ社)
        争点・沖縄戦の記憶(2002, 社会評論社 共著)
        陸軍暗号教範(2013, 紫峰出版 共編)
        新教程日本陸軍暗号(2013, 紫峰出版 共訳)
        沖縄戦のトラウマ(2014, 紫峰出版)
        沖縄戦捕虜の証言(2015, 紫峰出版)
        沖縄戦の集合的記憶(2017, 紫峰出版)
        米軍政府と民間人収容地区(2019, 名護市役所 監修)
        資料集 石川・宮森の惨劇(2019, NPO 法人石川・宮森 630 会 監修)

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